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月見坂物語
To The South
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月見坂物語

雑文 月光堂
2010/12/27/Mon

10 私の孤独

柱の古時計が二つ鳴った。
バネが壊れているので、
ボーンボーンではなく、
ジャイーンジャイーンと不思議な音をたてる。
その余韻が消えないうちに、
秋の日差しを身にまとって青年が入ってきた。
「いらっしゃい」
「こんにちは」
挨拶を交わすとカウンターに座った。
彼は今回二回目の来店で、
名前はヨシザキと教えてくれた。
地元の東高校を卒業して、
東北大学に入学、大学院で石の研究をしている。

「これ、この間の女性に渡してもらえませんか」。
隣の椅子に置いた紙袋から、
小さな箱を取り出すとカウンターの上に置いた。
中には陶器製のオカリナのような楽器が入っていた。
「これ、中国の笛なんですよ」。
前に来た時に、
たまたま中国の弦楽器「月琴」を持っていた
歌い手のミナコさんと居合わせ、
三人で音楽の話をした記憶が甦ってきた。
ヨシザキ君は休みを利用して実家に戻り、
万博で賑わっている上海をひとり旅して、
この楽器を見つけたという。
時折鼻をグスン、グスンしている。
どうやら上海で風邪をひいてきたらしい。
         ●
ミナコさんは、山口県の出身、
もともと音楽が好きで
学生時代はコーラス部に入っていた。
でも、まさか歌い手になるとは思ってなかったらしく、
ブラジル移住がきっかけになり、
ボサノバやサンバだけでない地元音楽と出会い
「唄を歌って生きて行こう」と決心したという。
ミナコさんは、
ブラジル音楽をはじめ、日本の古謡、民謡、
また世界各国から自分の尺度でいい歌を拾い集め、
自分の持ち歌にしていきたいという。

「この曲、知っていますか」
ミナコさんが来た時に、聴いてもらった曲がある。
ジョルジュ・ムスタキの「私の孤独」。
聴いてもらうと、
こんどのコンサートで歌ってみたいという。
先にレパートリーに加えられていた
アルゼンチン民謡の「花祭り」とともに
わたしが日本語訳をつけるという大役を
申しつけられてしまった。

ジョルジュ・ムスタキは、
ギリシャ生まれのフランスの吟遊詩人。
長く伸ばした髪と髭に青い瞳、
ギリシャの哲学者を彷彿とさせる。
若い頃はパリの下町セーヌ左岸で
弾き語りで気ままに暮らしていた。
シャンソンの大スターエディット・ピアフと会い、
すぐに二人は愛人関係となり、
ムスタキは彼女のギター奏者となった。
ムスタキは彼女のために
いくつかの佳曲を作詞・作曲している。
ピアフの自伝「愛の讃歌」(新潮社・1971年刊)では
出会いの瞬間をこう記されている。

 彼が入ってくるのを見たとき
 モモーヌ、ショックを受けたわ。
 すらりとして、陽気な目、お祭りのときの子供みたいな微笑。
 そしてやさしく、たんたんと話してくれたの。
 シャンソンを作って、モンパルナスで歌っていること。
 あたしにぜひ聞きにきてもらいたいと。
 なぜならあたしの判断を重要だと思っているからって。

しかし、関係は1年たらずで終わる。
ピアフにとって、ムスタキは最後の大破局だった。

日本語の「私の孤独」というタイトルは、
多分フランス語のma solitudeの直訳で、
でも、この直訳が逆に功を奏しているといえる。
日本語の感覚では、孤独は自分と一体化していて、
自分の中にある感覚ではないだろうか。
自分に影のように寄り添い、
時に励ましてくれたり、時に見守ってくれたりしてくれる、
もう一人の自分の分身。
そんな「私の孤独」をうまく表現できないものか。
         ●
コンサートは、町の美術館で行われた。
店を早閉めして、お花の先生とモトちゃんと
タクシーで会場に向かった。
冬至も間近で、町はすっかり闇に包まれている。
つむじ風が町の辻々を駆け巡っている。
コンサートが行われるホールは、
昭和2年(1927年)に建てられたという歴史的建築物、
昔は銀行として使われていたという。
数年前に建て壊しの話が出たが、
壊すのはしのびないという市民の声が出て、
このホールを抱き込むように美術館が新築された。
ミナコさんは、ここでライブをやるのが夢だった。

ホールは6本の柱で支えられ、
天井は3階くらいの高さはあるだろう。
映画のロケやミュージシャンの
プロモーション・ビデオでも使われるらしい。
真ん中にステージが設けられ、
回りはほんのりキャンドル・ライトで彩られている。
ミナコさんは、黒いドレスで現れた。
まず「月琴」を手に取り、ライブは始まった。

第2部に入り、「私の孤独」は演奏された。
ギターのイントロが爪弾かれ、
ミナコさんのしっとりとしたハリのある声がホールに溢れた。
瞼を閉じ、歌のことばに耳を澄ました。

 川辺に腰かけ 流れを見ている
 喜びも悲しみも 苦しみも浮かべて
 人生の流れは とどまることなく
 命の灯消えるまで あなたと生きる
 ああ ありがとう 私の孤独

三番には、こんな詞をつけていた。
もう随分と前だが、「私の孤独」は
木下恵介のテレビドラマ「バラ色の人生」の
主題歌として使われていた。
主演の青年役には、確か若き日の森本レオと寺尾聡。
ドラマの内容はすっかり忘れてしまったが、
川の流れが映し出され、それをバックにやがて
アコースティックギターの音色とムスタキの声、
淡々と語るように「私の孤独」が流れてくる。
青春のやるせなさと曲がひとつになって、
見る人にしみていたように思う。
そんな人生の苦味のようなものを詞の中にいれたかった。
         ●
コンサートの夜、モトちゃんと酒房「竹林庵」に寄った。
湯豆腐で焼酎のお湯割りを呑んでいると、
同席した男性と競馬の話で盛り上がった。
その方は三重県出身で、
阪神競馬場、淀競馬場に通っていたという
あの名実況で知られる杉本アナの真似も上手だった。
競馬には予習・復習が必要で、
わたしの場合競馬に夢中で脳みそが若かった
1970年から80年代の競馬は鮮明に覚えている。
今でも、その頃の重賞レース(G1)は
一着、二着、三着、配当までそらで言えるくらいだ。

 中山の直線を!中山の直線を!流星が走りました。
 テンポイントです。(杉本清アナ実況)

1977年(昭和)12月18日、この年の有馬記念は、
1着テンポイント、2着トウショウボーイ、3着グリーングラス。
このレースは有馬記念史上、1、2を争う名勝負と言われている。
わたしも群衆の一人として、馬券を握りしめて中山競馬場にいた。
歌人、詩人、劇作家の寺山修司は、
競馬好きとしても知られ、数々の競馬ノンフィクションを残している。
「旅路の果て」はその中の一冊。
テンポイントについて書かれた章にこんな文章がある。

 私はトウショウボーイに賭けていた。
 私には「落ち目」愛好癖とうのがあって
 なぜか下り坂のものへの心の傾きをおさえることができないのだ。
 師走の空っ風の中で、
 私はオーバーの襟を立ててスタンドの中にいた。
 そのポケットにはトウショウボーイの単勝馬券が十万円。
 泣きたくなる思いで「テンポイントには負けるなよ」と、
 つぶやいていたのである。

なかなか勝てなかったライバルに、
テンポイントは最後のレースで雪辱を果たす。
寺山修司は、サローヤンの言葉を借りて、
この章をこう締めくくっている。

 負けることを知るのは、
 男のくやしさである。
 だが、それを受け入れたときから
 男はもう同じ場所には、いられなくなる。
 戸をあけて出てゆくほかはなくなるのである。
 そして、外は今日も冷たい風が吹いているのである...。

山茶花の紅い花びらがぽとんと落ちた。。
気温が下がってきて、
冬本番がいきなりやってきた。
今年の有馬記念は、
女傑ブエノビスタが鼻差差し切れなかった。
ここ数年、競馬から距離を置くようになり果てたが、
12月になると競馬場の風に吹かれたくなる。
見果てぬ夢を見る群れに加わって、
孤独(ひとり)と向き合いたくなる。

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競馬ノンフィクション 旅路の果て
●寺山修司著
●1979年5月15日初版発行
●新書館刊

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「ラジオ ポロシャン」という名でアメーバブログをやっております。
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何か楽しいことのお手伝いができそうと思います。

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ではよろしく!

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